納豆の日

2015.7.10/ テーマ: 今日は何の日

こんにちわpiottです

今日7/10は納豆の日だそうです。字の如くで納得。
ちなみに、7/12は「豆腐の日」で、毎月12日は「豆腐の日」なんだそうです。
納豆の日は一年に一度ですが豆腐の日は一年に12回来るんですね。

納豆・豆腐と言えば思い出すのは、子供の頃に毎日食べていた豆腐やさん。
水色の丸文字でおおきく「とうふ」と書かれた白いバンで
近所に豆腐を売りに来る地元の「三河屋」さん。
記憶が正しければ…こんな車でした。

710

うわ〜、懐かしい
こんなだったこんなだった。
プップ〜と言うラッパの音がすると、母たちが宅のボウルと小銭を持って車に集まってくるのでした。
下町でもないのに、今思うとこれは子供時代の良い思い出のひとつ。
ご近所のみんなが豆腐屋さんの車を囲む夕方のひとときは
舗装されたアスファルトの住宅街だったけれど
不思議とはっきり頭に焼き付いています。
またおじさんがとっても良い人で、子供達みんな懐いていたなあ。
あのころあの近所の人達はみんな三河屋さんの豆腐を食べて育ちました。

それが普通だと思っていたけれど、大人になってだんだんにわかったのは
そこの豆腐はほんとうにほんとうに、美味しいと言う事。
豆腐、納豆、揚げ(絶品!)、がんもどき、豆乳
どれをとっても味が濃くて、本当においしい。
高級料亭でたべても、デパ地下で奮発してみても、老舗豆腐店もおいしいけれど
三河屋の豆腐よりおいしいものを食べたことがありません。
豆腐に関しては子供の頃にこんな美味しい物を食べていたんだと言うのは
改めて嬉しくほのかな自信と自慢になってます。

地元の子供が大人になって、グルメ雑誌の編集部員になったひとがいて
やはり忘れられない三河屋の豆腐、と雑誌で紹介して
遠方からわざわざ車で買い求めにくる人が来る程に有名になったらしいけど
味は昔のまま、もしくは研究肌の真面目な職人一家の二代目が研鑽して
ますます美味しくなっている三河屋さんです。

今でも実家に帰って母親に「豆腐買っといたよ」といわれると、
嬉しく頂いて帰って、食卓に並びます。

機会があったら三河屋のあの濃厚なお豆腐、是非食べてもらいたいです。
自信、あり!
go

go

三河屋豆富店 (みかわやとうふてん)
042-591-4694
東京都日野市三沢4-5-20
高幡不動駅から徒歩10分くらい。

今検索していたら、ご次男さんが独立暖簾わけしたようです
写真、おいしそう!
ほのかに、家族のいろいろを感じるHPではありますが
頑固な職人一家なんだなあと微笑ましく思うのは
あの人柄のいいおじさんをよく覚えているから。
きっと息子さんも、おなじくらい職人気質なんだろう。
go

 

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elcobreのmilk。

12/11。今日はタンゴの日。

2013.12.11/ テーマ: つれづれ テーマ: 今日は何の日

こんにちわ
小さなグリーティングカード、thankyou cardのpiottです。

今日12/11はなんの日?… タンゴの日だそうです。
本国アルゼンチンでは沢山のイベントがあるようです。go

piottのおじいさんは若い頃アルゼンチンに住んでいたことがあります
おじいさんのアルバムにはアルゼンチンの娘との気取った写真が何枚かありました
同じ年頃の娘だったし、写真館で撮っていたのできっと恋人だったのでしょう
結婚はできずに日本に戻って来て、秋田県でおばあさんと結婚したおじいさんでしたが
夜晩酌をはじめると、よく一人でタンゴを踊っていました。
もちろんだれも相手が居ないので、透明人間相手のシャドウタンゴでした
(いま思うと相手はその娘さんだったのかもしれません)

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「アルゼンチンに住んでいたことがあって、タンゴに詳しいひとが秋田に居るらしい」と聞きつけた東京のひとが
「東京のラジオ番組でアルゼンチンタンゴの特集をやるので、解説者として一日番組に出て欲しい」とおじいさんに電話をかけてきました

おじいさんは喜んだのかな?
でも電話でしゃべっているうちに、風向きが変わってきました
そのはなしは、無かったことに、と、向こうから断って来たそうです。

おじいさんの東北なまりがすごかったのです。
ラジオ番組に出ても「このひと何を言っているかわからないや」と
番組のひとは判断して、実際そう言われたそうです。
おじいさんは、ものすごくがっかりしてプライドも傷ついたそうで
その話は我が家の代々の語りぐさになっています。
できない外国語をしゃべって海外で仕事していたひとだから
余計にショックだったのでしょう。

わかりません実際は「このひとの知識は番組の趣旨とちがうな」と思われたのかもしれません。
でも断りの文句に「なまりが酷いので」と言われることは東北のひとにはそれ以上の打撃があったんだろうと思います。ことさらにシャイなおじいさんだったのです。

タンゴ、と聞くと
そんなしょっぱい、おじいさんのことが一番に思い出されるのです。

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おじいさん、アルゼンチン時代。

 

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