タレンタイム
こんにちわ piottです
すっかり秋です。
前からおすすめされていたマレーシアの映画
タレンタイムを、このひとつきで二度見て来ました。
私はすっかり、タレンタイムモードです。
初めて見たときは世の中にこんな素晴らしい映画があったのかと、感動して暫く席を立てないくらいでした。
舞台はマレーシア…多民族他宗教が隣り合ってひしめく、刺激と緊張と譲り合いと歩み寄りの国なんですね。
とにかく、全てが美しい映画でした
優しい気持ちが、肉体に追いつかない!そんな映画でした。
まざりあい、ゆるしあい、受け入れあい、なにか、どこかで「こうありたい」と思っている人のための映画です。
つまりは全ての人のための映画でしたね。
女性監督はこの映画公開のすぐあとに急逝してしまいました。
マレーシアの友人にそっと聞いたのだけれど、監督の女性ヤスミン・アフマドは
もともとは男性だったそうです。
本当かな?と思うくらい女性にしか見えません。
女性にしか見えないので、あまり知られていないのかもしれないし、
当たり前過ぎて誰も言わないのかもしれない、
でもそれを思うと余計に、彼女が言いたかった事が立体的になってきて切ない。
生まれたときから戦って、許し合いと偏見と理解について考えていらしたんだろう。
私も本当は、宗教に恐怖や偏見を持ちたくないのだ、と心から思いました
あ、この映画のすばらしいところは「わかりやすい」こと。
でも、ところどころに仕掛けがしてあって、私は全て分かりきらなかったと思うけれど
それでもその仕掛けが、なにか心地よいのです。
赤ちゃん、いちご、神様(死神)、コロポックル、異界同士を繋ぐ人たち、そして詩と音楽。地球に存在するいろんな顔、言葉。
監督は、監督の顔以外では、マレーシアでは(日本でいうと、電通のような?)
寝る間もない程忙しいワーカホリックだったそうで
亡くなったのも「きっと忙し過ぎたのだろう、というもっぱらの評判だ」と聞きました。
タフで有名な女性CMプロデューサーでいわゆる業界人だったそうです。
そう考えると映画のしかけやキャッチーさにも納得がいきました。
生まれながらの哲学者が多くの人に何かを伝えるためにCMという手腕を身につけたのでしょうか?
ちょっと味気ない言い方になるけど、分かり易いアイコンをみつける天才だったのではないかな。
ムスリムのメイドが雇い主の留守に一人ピアノを弾くシーンのなんと美しく多弁な事か!
背筋がひやりともしました。
私のマレーシアの友人に、かさねて映画を見ることもできました。
マレーシアの英語の発音やイントネーションが、私の友人とよく似ていて、
可愛らしく、親しみも感じました。
出会えた事が「贈り物をもらったような」そんな映画でした。
タレンタイム 優しい歌
ブログなどで他の人の感想を読んでは思い出しています。
写真はユトレヒトの運河。関係ないけど私のなかでは通じるものがあります。
piottのカードにも、そんな気持ちが詰まっているといいな!